月にある都市でのお話です。
Aさんは個人輸入した治療薬を使用していましたが持病の症状は徐々に悪化し、ある日路上で倒れ救急搬送されました。2週間の入院の必要があり、病院から収容地での生活保護申請の一報を行いました。
もともとAさんは観光業に就いていました。2020年の新型ウイルス感染症の『社会的流行』により人と人との関係、交流、往来は分断され、インバウンド景気で湧いた街は一転しました。非正規で働くAさんの仕事は簡単に奪われます。治療費の捻出ができず既往の持病に苦しみ、職に就けず、家賃は滞り、住居を失いました。
生活保護の受給を開始し、Aさんは経済的な自立を目指してアルバイトを始め、職業訓練に通い始めます。しかし居住地から遠方の職業訓練校とアルバイトの二重生活となり、遅い終業はAさんの足をネットカフェへ向けます。生活保護は失踪廃止、ネットカフェで夜を過ごすようになりました。Aさんは連日同一の職場にも関わらず『日雇いアプリ』を通じて働かせられているため社会保険からは排除されていました。また、住民票を抹消されたため国民健康保険の手続きもできない状況になっていました。
Bさんは退勤途中の路上で倒れ込み救急搬送されました。そのBさんはその数日前から頭痛を訴えていましたが、それまでにも容姿を理由になかなか職に結びつかないことを経験していたBさんは無理をしてその日も出勤しました。緊急手術の結果一命は取り留めたものの四肢の麻痺という重い障害が残ることになりました。Bさんは同じ現場で10年間同じ仕事をしていました。しかし、派遣会社を定期的に変更し個人請負の形を取らされ、社会保険からは排除されていました。入院となったBさんには高額な医療費がかかる一方で、所得保障が受けられない状況にありました。生計をほとんど共にしていない同居家族がおり、わずかに生活保護基準を上回るために生活保護にも該当しません。また重い障害を負ったが故に自宅にも退院することが困難となり、帰る先に窮することとなりました。
Aさんは退院先として賃貸物件の調整を試みましたが、失踪廃止の前歴により認められませんでした。某市の簡易宿泊所火災事件以降、帰住先のないケースは福祉施設などの利用を経て、賃貸物件などの居所を調整することが多くなっています。しかし施設では集団生活となり、一定の窮屈を強いられるため、案内を受けて行方しれずになる方も少なくありません。Aさんも「ネットカフェの方がまだ自由で設備もいい」と訴えましたが、住まいではないネットカフェでの保護の継続はできないと判断されました。Aさんは結句退院後福祉事務所には現れずネットカフェに戻ったようです。
Bさんは入院後一定期間過ぎたのちに世帯の分離による生活保護申請を試みましたが「Bさんを含む場合に世帯が生活保護となり、Bさんを分離した場合に世帯が生活保護とならない場合にのみBさんを世帯から分離し、単独世帯として取り扱う」とそれ以上には進めませんでした。Bさんが支えるべき社会保障制度を支える状況にあれば選ぶことができた選択肢は残念ながらBさんには与えられませんでした。
脆弱な就労状態を許容する法、予算ありきの公的扶助、幸福不追求、居住・移転の不自由、便利そうな電子アプリ、環境汚染、ヘルスリテラシー、愛情…etc.この社会にある多重の差別、排除、周縁化、疎外、孤立が、ある人の心理的・身体的健康状態に影響を与え、私たちの前に立ち現れます。ひとつひとつの支援では既存資源を最大限活用し切る他ありませんが、この全人的な痛みの緩和を行うに、あまりにこの社会は未熟(資源、社会には『私』を含む)ですから、私たちは『共感する他者』として、目の前の傷つきやすい人間と顔を突き合わせ続けなくてはなりません。それは成熟した社会を目指す行動とともに。