≪新卒過労事故死裁判 遺族の意見陳述より≫
「航太は大学の夜間部に通い、働きながらの大学生活を送り卒業まで6年かかりました。在学中も就職活動は行っていましたが、現状は厳しく、卒業してからもバイトをしながら就職活動をしていました。しかしなかなか面接までたどり着けません。私はハローワークの求人なら安心だろうとアドバイスしていました。
重視しているのは、労働時間と「夜勤」のないこと、マイカー通勤不可であることでした。私は介護の仕事をしており、夜勤での車やバイクでの通勤は、どんなに気をつけても危険であることを良く知っていました。
今になって思うのは、求人票に真実が記載されていれば、私はこの会社を絶対に選ぶことはなかったということです。」
「私が勧めたグリーンディスプレイの説明会に航太は参加しました。仕事の内容は、大手デパートやお店むけに、主に植物をディスプレイする仕事でした。航太の興味あるもので、就職したい気持ちは膨らんでいったようです。
航太は最終面接に進みましたが、合否の知らせはありませんでした。ただ面接では、試用期間としてアルバイトの誘いがあったため、航太は正社員として働くことを期待して、10月からアルバイトを始めました。そしてクリスマスシーズンに向けて大変忙しく働きました。」
航太は最終面接に進みましたが、合否の知らせはありませんでした。ただ面接では、試用期間としてアルバイトの誘いがあったため、航太は正社員として働くことを期待して、10月からアルバイトを始めました。そしてクリスマスシーズンに向けて大変忙しく働きました。」
「航太の仕事は、翌年の平成26年のお正月・バレンタインデイ・ホワイトデイとイベントごとに忙しくなり、私との生活時間もすれ違いとなり、話す時間も無くなっていました。どんどん航太が疲れた表情になっていくのがわかりました。」
「このような状態にも関わらず、会社から内定通知が届かないことに不安は大きくなり3月になってもアルバイトのままだったことから、次を探し始めたところ、突然上司から口頭で“3月16日から正社員に採用、現状の部署に配属する”と言われました。しかしその後書面での通知もなく、雇用契約書も就労規則もないことを私は不審に思っていました。」
「小さいころからほとんど愚痴を言うことのない航太でしたが、
会社の先輩に、
「平成生まれはあまいな~」
「辛いとか嫌だとか直ぐ顔に出る奴だ、いつも笑ってろ!」
「手がもげても、足がもげても働かなきゃいけない」
パワハラを受けていることを話してくれました。
そんなことを気にする人間ではなかったため「何故?」と心配になりました。
今思えば、もう疲れ果てて本来の前向きな航太ではなく、ぎりぎりのところで私に伝えたかったのでしょう。」
会社の先輩に、
「平成生まれはあまいな~」
「辛いとか嫌だとか直ぐ顔に出る奴だ、いつも笑ってろ!」
「手がもげても、足がもげても働かなきゃいけない」
パワハラを受けていることを話してくれました。
そんなことを気にする人間ではなかったため「何故?」と心配になりました。
今思えば、もう疲れ果てて本来の前向きな航太ではなく、ぎりぎりのところで私に伝えたかったのでしょう。」
「正社員になっても航太の仕事内容は変わらず、求人票のシフトとは大きく違いました。大好きな仕事を見つけた喜びも失望・諦めに変わりはじめ、航太は、5月の連休に時間をつくってもう一度今後の仕事について私と話しをする約束をしました。」
「亡くなる一週間前には、私が食事の準備をしても、航太は食べなくなっていました。」
「最後に航太を見た4月22日の朝は、服を着たまま布団もかけないで寝ていました。私は布団をかけてやり、軽く身体をゆすりましたが、起きませんでした。これ以上起こすのも忍びなく、まさかこの日も働かされるとは思ってもいませんでしたので、
私は、航太に「ゆっくり寝て、身体を休めて。そうじゃないといい仕事はできないよ」
「身体を壊しちゃうよ。今日は一緒に夕飯を食べようね。」と声をかけました。
私は、航太に「ゆっくり寝て、身体を休めて。そうじゃないといい仕事はできないよ」
「身体を壊しちゃうよ。今日は一緒に夕飯を食べようね。」と声をかけました。
やはり返事はありませんでした。
いつもなら「わかった、お母さんいってらっしゃい、気を付けてね!」と寝ぼけながらも必ず返してくれましたが、全く反応はありませんでした。そのまま眠って欲しかったので起こさず、私は出勤しました。
「航太がバイク事故で亡くなった」と私が聞いたのは4月24日の朝、仕事で移動中の電車の中でした。携帯電話に異常な数の着信が入ったので途中下車して訃報を聞きました。
その時にはもう航太は病院から警察へ移送されるところでした。
電車のホームで「病院へ戻して!航太を直して!病院へ!航太はもっともっと生きたいのよ!お願いします!お願いします!」と
大声で携帯電話に向かって叫んでいました。」
その時にはもう航太は病院から警察へ移送されるところでした。
電車のホームで「病院へ戻して!航太を直して!病院へ!航太はもっともっと生きたいのよ!お願いします!お願いします!」と
大声で携帯電話に向かって叫んでいました。」
「最愛の息子を亡くして約1年が経ちます。まだ亡くなったことが信じられません。航太の帰りを私は毎日毎日待っています。」
「求人票を信じた私のせいであり、航太の正社員になりたいという希望と、母親を安心させたいという気持ちが航太の人生を終わらせてしまったのではないか。できることなら航太と変わってやりたい。」
「グリーンディスプレイは全てがでたらめで、まじめに働こうとする人間を軽視しています。雇い入れておきながら通勤方法や通勤時間、睡眠時間など配慮がなく、仮眠室もきちんと整備されていませんでした。航太が亡くなってからも線香をあげるでもなく、お墓の場所を聞いてくるでもありませんでした。短期間バイトしていた人間が事故を起こして、亡くなった。それだけのことなのです。」
「ハローワークの求人票と実際の労働条件が違うことを問い詰めても“求人票通りの会社はない”言われました。嘘の記載があったにも拘わらず信じてしまった方が常識はずれといわんばかり。何を信じて就職先を選べば良いのか。」
「グリーンディスプレイは、都会の有名店でお客様に夢を売る仕事に携わっていながら、裏では人間を人間扱いしない会社です。私は、街に出てそれらの装飾も見るのがつらいです。」
「航太は“好きな仕事に巡り合えたのだから幸せじゃないか”と自分に言い聞かせ、
夢を力に変えて、最大限努力していました。
そんな人間の命までも奪うほどの利益優先の企業体質は許しがたいです。」
「今後、就職する若い方のためにも、この裁判では、おかしなものはおかしいと、はっきり認めてもらいたいと思います。」
夢を力に変えて、最大限努力していました。
そんな人間の命までも奪うほどの利益優先の企業体質は許しがたいです。」
「今後、就職する若い方のためにも、この裁判では、おかしなものはおかしいと、はっきり認めてもらいたいと思います。」
「航太は、高校卒業少し前から離婚により、私と航太の兄と3人生活となりましたが、忙しい母を手伝ってくれました。大学は夜間を選びアルバイトをしながら母の負担を軽くしてくれました。最近では親子が逆転し、航太から私の体調を気遣ってくれました。何事にも前向きで、明るく、コツコツ積み上げて行く生き方に自信をもって歩き始めていました」
「私に良く言っていた言葉があります。」
“生きていることは奇跡なんだ。
一瞬一瞬が奇跡なんだよ!
大事に一生懸命生きないともったいない!
せっかくお母さんが、奇跡をくれたんだから!”
[みなさん、裁判の支援をお願いします]
0 件のコメント:
コメントを投稿