2021年7月26日月曜日

ライフイベントと社会保障

 ライフイベントというと、就学、卒業、就職、結婚、出産・子育て、教育、リタイア、死別などを想像するかと思います。またこれらは家計と密接に結びついた現れ方をするものとしても捉えることも多いかと思います。これらのイベントの現れ方がステージごとに起こることをライフステージ、その重なりをライフサイクル、イベントに対しての向き合い方や付き合い方をライフスタイルと呼べます。ワーク・ライフバランスは仕事と生活のバランスをどのように取っていくのかということになります。このことは自身のライフスタイルのデザインをしていくことについての人間主体的な取り組みである一方で、イベントに対応できる資力的な課題を浮き彫りにします。

 ここでいう資力はその個人と取り巻く社会のもつ力を指します。このことはある人の課題解決能力はその人の住む社会の課題解決能力でもあるということです。そしてそれは倫理的問題として個人に対しては内在的に、社会に対して対象集団の問題として突きつけられます。これはある資産家が宇宙旅行にいくことと、若者の保険料未払い問題とが一体であることの認識です。

 保険料の未払いに焦点をあてるなら若者特有の問題ではなく、臨床現場の肌感としては40歳代〜70歳にかけて特に顕著に現れるように感じます。労働可能な年齢である一方で、疾病のようなイベントに耐えうる財政能力がなく、保険料の未払いによる社会保険からの追い出しがあるとたちまちに困窮をする、ないし受診控えや利用控えによる疾病の重篤化や介護状態の悪化をきたすことになります。高血圧症、糖尿病、高コレステロール血症のような慢性疾患では合併症を来してからの救急受診になり、従前の生活の困難を余儀なくされる方も多くいます。特定のがんのような急激に進行する病では受診をされた時には助からない状態であることもあります。体調不良が続き就労がまばらとなり、収入が絶たれる一方で疾患の進行を来し、入院をされた後に医療処置が継続して必要になり退院ができないかたもいます。

 これらの問題の多くが社会的解決を要する課題について個人が負わされる構造があることに起因しています。また、入院後に少なくとも安心して加療が可能であるように専門職が社会的な手当を行なっていくことが一定以上のケースでは可能です。これは社会保険や税、社会保障制度へのアクセスが社会構造的に阻まれていることを意味しています。生活保護制度の利用や保険料の相談へのアクセスのしづらさ、社会保険の基礎知識が雇用主/労働者双方にないがための適用されないことのシステムエラーが悲劇を誘引します。保険料の不払いについての数字を追うならば、雇用の流動化や低賃金・格差を上部構造に持つこの問題は今後より大きく、深化していく可能性を有しているように感じます。

 ライフスタイルやワーク・ライフバランスなどの人間主体的な取り組みが耳障りがいい一方で人間が社会有機的連帯を必要としていることが取り残されているように感じます。自らのライフスタイルのデザインを行う上での社会的基盤のデザイン、整備を行なっていく視点を持つことの必要です。そのためにも、ワークルールと同様に社会保障について知識や付き合い方についての教育が必要であるとも思います。また個人の直面化する問題の多くは個別の事情や血縁のような小集団の問題、地域共同体のような中規模集団、国家と言われるようなどこか特有の領域的な問題ではありません。「私」が直面化する問題は私から国家に至るまで縦横断的に交相互に作用し合う問題であると認識されます。

 「あなたの人生はあなたが決める」「大丈夫?その人生設計」ライフデザインの話の多くは社会への対応について、不安を助長し、分断を加速させ、孤立を強いているように感じます。人間は社会的な生き物であることは自明ですが、「私」が社会とどのように関係するのかは大きな可能性を持って社会が接近します。ですので「私の人生は私が決める」とは言い切れない、社会関係とその余地がライフデザインの必要であると感じます。

                                        児玉桃太郎