Y弁護士:おなじみ声が大きい弁護士。最近,ぎっくり腰防止の為のストレッチをしている。
E弁護士:Yの大学時代の友人。
E弁護士:Yの大学時代の友人。
Y弁護士の通っていた大学の図書館近くの喫茶店。
Y「ここの喫茶店でよく司法試験の勉強したなぁ」
E「そうだな。Yは,受験生時代,よく『俺の恋人は,六法全書で何が悪い!!』って咆哮していたな」 ※ 咆哮とは,ほえること。
Y「ぎゃー!! やめてくれ!! …………」
※ Y弁護士は,大声を出した。しかし,なにもおこらなかった。
E「どうした?」
Y「いや,いつもだったら。ここで,大声でうるさいなどというツッコミが入るんだが……」
E「さすがは,わが母校の周辺の喫茶店だな」
※注 学生街の喫茶店でも大声を出しても周囲に迷惑です。大声を出してはいけません。
Y「ところで,最近ワークルール教育の在り方について,いろいろと料簡を巡らせているんだが……」※ 料簡とは,考えのこと。
E「ほう。どんなこと考えてるの?」
Y「労働相談にのっていると,『先生,それって私のわがままだと思っていたんですが,違法だったんですか?』とか『ひどいと思うんですけど,どうにかなりませんか』など,そもそも,労働者が自らの生活を営む上で非常に重要な権利について知らず,その重要な権利が違法に侵害されているということに気が付いていない人が多いんだよね。だから,まずどんな権利が保障されているのか,労働法の知識を教えていくということは,必要だと思う」
E「そりゃそうだ」
Y「でも,それだけでどうにかなるっていう話でもないと思うんだ」
E「というと?」
Y「イェーリング的な考え方と『労働法』特有の歴史も教える必要があると思うんだ」
E「イェーリングって,1872年に『権利=法のための闘争』(ドイツ語=”Der Kampf ums Recht“)を書いたドイツの法哲学者のことか?」
Y「そうそう」
E「んで,Yがワークルール教育に必要と思う,そのイェーリング的な考え方って?」
Y「不正確だけど,ざっくり言えば,ちゃんと自分の権利を主張しないと法の実効性がなくなって,自分達だけで権利を守っていかなければならなくなったり,最悪,権利自体が無意味になってしまうから,きちんと権利を主張して,法を実効性のあるものにしないといけないっていう考え方だよね」
E「それとワークルール教育がどう関係するの?」
Y「いろいろと労働相談を受けていると,権利があって,それが侵害されているということを噛み砕いて説明しても,大変だからとか,辛いからと言って,泣き寝入りする人も少なからずいるんだよ」
E「ふむ」
Y「もちろん,人それぞれ事情があるし,実際,いざ裁判になると精神的負担やら手間暇かかるから,それらのすべてが悪いなんて言うつもりは毛頭ない。」
E「そうだね」
Y「だけど,そもそも,さっき言った考え方を咀嚼して,実際に自分の腹の底にストンと落とした上で,判断をしているかっていうと,実は,そうじゃない場合が多いんじゃないかなって思うんだよ」
E「ふむ。つまり,Yは,ワークルール教育の中で,『労働法』上認められた権利を教えるだけでは足りず,違法にその権利を侵害されているときに,その権利を主張していかないと,そのうち,今認められている権利がどんどん奪われてしまうことになりかねないということを教えるべきである,そのことを理解した上で選択することができるようになることも目標に入れてワークルール教育をすべきということかな?」
Y「それだけじゃないけど,ざっくり言えばそういった部分もあるかな」
E「なんだか,奥歯に物が挟まったような言い方だな。その挟まったものってなんだい?」
Y「上手く言えないんだけど,ただ,イェーリングの考え方を単純に『労働法』にあてはめて言っても,なかなかイメージを持ってもらず,結局『リアルさを欠いた雰囲気』や『なんとなくの感覚』に寄りかかった『眼鏡』を通した『権利』として理解した上での選択をしてしまうと思うんだよね」
E「というと?」
Y「もちろん『労働法』の分野というのは,当然論理が展開される世界ではあるんだけど,他の法律よりも一層に歴史的な利害対立,すなわち,労使間の階級闘争の歴史という視点や実際に行われていた,あるいは,現実に行われている生命,身体を脅かしかねない構造的な不条理さを抜きには語れない要素が大きいんだと思うんだよね」
E「うーん。俺の友人に,『どんな法律だって,歴史があるんだから,それは違う』というふうに言った人はいたね。でも,賃金の意味合い,解雇権濫用法理,雇止め法理,労働組合の歴史的経緯なんか考えるとそうかもしれない。」
Y「だから,歴史を踏まえた視点から,不条理な現実を実際に具体的に見ていき,その歴史の中で,どういった形で,今当然の如く与えられているように見える権利が権利として成立したのかを学ばないと,『はいそうですか』ということで,無数に散らばっている『情報』を消費するだけになって,そういった『情報』が脳みそを一瞬通過するだけで,結局,血肉とはならないんじゃないかな」
E「実際の問題に直面しないとわからないのは,仕方がないんじゃないの?」
Y「確かに,そりゃ実際に問題に直面して,体験した方が血となり肉となる傾向はあるけど,そんな雑な議論をしたら,安定した生活を営む上で欠くことができない重要な領域において,『愚者は,経験に学び,賢者は歴史に学ぶ』ということを否定することにならないか?」
E「ドイツの宰相ビスマルクの言葉だな……。そうか,じゃあ,いかに体験をなぞるような形で,歴史を学ばせ,今当たり前のごとく横たわっている権利が,自分自身が生きている社会と連続している過去において獲得されたものであり,現在においても権利として保持する闘いが繰り広げられており,未来の世代にわたって,かかる権利が継受されるようにする必要があることを理解してもらうための教育がワークルール教育に必要な要素であるということかい?」
Y「だいたいそういうことかな」
E「抽象的には,わかったけれど,じゃあ,実際に,そのような観点から,ワークルール教育をしていくために,どうするのかい?」
Y「青写真的な一義的な答えはないと思うから,試行錯誤していくしかないよ」
E「なんだか,肩透かしの結論だな」
Y「いやいや,かかる視座をもってワークルール教育を提唱している人であれば,たとえば,労働組合の重要性について歴史的な文脈や憲法と関連させて教育するだろうけど,かかる視座を欠いて無邪気に労働組合の重要性についての説明をすっぽり抜け落としたまま教育してしまう人がいるから,そういった人に対しては有効な視座だよ。さらにいえば,敢えてそのような観点を避け,労働法教育において労働者の義務や自己責任を過剰に強調して教えるべきと考える人の背後にある『邪気』を見透かすことができる有用な考え方だと思う」
E「なるほど。ところで……」
Y「ん? なんだい?」
E「この対談を記事にするんだよね?」
Y「ああ。」
E「ちと。難しすぎるんじゃないか?」
Y「……うむ。ここまで読んでくださった方々,ありがとうございました。」
※注 この対談はフィクションです。
つづく
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